山口地方裁判所徳山支部 平成元年(ワ)152号 判決 1994年2月02日
原告
亡A承継人X2
原告
亡A承継人X1
右原告ら訴訟代理人弁護士
小笠豊
被告
木梨憲夫
右訴訟代理人弁護士
弘田公
同
吉元徹也
主文
一 被告は、原告X2に対し、二一六〇万六三一二円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告X1に対し、二一六〇万六三一二円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らの、その余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを四分し、その三を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
事実
第一 請求
一 被告は、原告X2に対し、二七八〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告X1に対し、二七八〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 仮執行宣言
第二 主張
一 請求原因
1 当事者
(1) 被告は、肩書地において産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開設して医療業務を営む医師である。
(2) Aは、平成元年二月三日午後六時四二分、被告医院で、父原告X2と母同X1の第一子(長女)として出生し、平成三年四月六日死亡した者であり、Aの相続人は原告X2と同X1である。
2 事実経過
(1)① 原告X1は、平成元年二月二日午前中に破水があったため、同日午前九時頃、被告医院で診察を受け、そのまま入院した。
② 被告は、内診後、「確かに破水しています。お昼まで待って陣痛がつかなければ、赤ちゃんを痛めるやり方でやりましょう」と言ったが、原告X1がその意味を問い返すと、「陣痛促進剤のことですよ」と言った。
③ その日は、原告X1に陣痛は起こらなかった。
(2)① 被告は、平成元年二月三日午前一〇時頃から、原告X1に対し、分娩誘発剤アトニンーOにより分娩誘発を開始し、同日午前一一時過ぎからは分娩誘発剤であるプロスタルモンFも追加使用した。
② それから間もなくして原告X1に一〇分間隔の陣痛が四、五回あり、その後間もなくして一分間隔の陣痛が始まった。
③ その後、被告は内診をして「まだ、子宮口は一センチも開いていません」と言った。
④ それから、被告が、二つの分娩誘発剤の入った点滴ビンの接続が悪いと看護婦に指摘して、ビンの間にあるネジのようなものを緩めたところ、いままで一滴ずつ入っていた液がザァーと別のビンに流れ落ちた。
(3)① 原告X1は、平成元年二月三日午後二時三〇分頃、病室から分娩室に移った。
② その後、約一時間後に被告が内診し、子宮口が開いていなかったため、器具(メトロイリンテル)を入れたが、三〇分ほどで自然に抜けた。
③ 被告は、メトロイリンテルが抜けたことを確認し、内診して「子宮口が五、六センチ開きました」と言った。
被告は、同日午後五時頃、原告X1に分娩監視装置を装着した。
④ その後、原告X1には一分間隔の陣痛が相変わらずある反面、痛みが少しやわらいできた。
⑤ その後、被告は、原告X1に対し「全開大になりました、いきみましょう」と言い、原告X1も陣痛にあわせて力一杯力んだ。
⑥ 原告X1が、四、五回力んだころ、被告が、原告X1の腹の上を肘を使って押し出すような動作(クリステレル法)を始めた。
(4)① この頃から、原告X1の陣痛の痛みが遠のいた。
② 被告は、原告X1に対し、再び「いきみましょう」と言ったが、陣痛がなく、同原告は「いきみがありません」とはっきり答えた。
③ 被告が、難しい顔つきをして、子宮口の方と分娩監視装置に目をやった。
④ 立会していた原告X2が、分娩監視装置に目をやると、デジタルで表示される数字が、高くなったり、低くなったりしているのが分かった。
⑤ それから、被告は、原告X2に、「難産になりそうだから、外に出ていって下さい」と指示し、同原告は分娩室を出た。
⑥ その後、被告は、吸引分娩を開始し、何度も吸引したが娩出されなかった。
⑦ 同時に、看護婦が、被告の指示で、陣痛にあわせて、腹の上を肘を使って何度も圧迫し、このクリステレル法は、分娩まで続けられた。
⑧ 吸引分娩にかかっている間、被告が、看護婦に新生児の蘇生台を準備するよう指示した。この時点で、被告は、Aが、仮死で生まれてくることを予測していた。
⑨ 午後六時四二分に、Aは、吸引分娩により娩出された。
(5)① 出産直後の産声もなく、Aは、蘇生台に寝かされ、被告が何か処置をしていた。
② 被告は、看護婦との間で「生まれて何分たった」「今七時五分だから、二五分たっています」というやりとりをしていた後、看護婦に徳山中央病院小児科の大城医師に連絡するよう指示をした。
③ その後、原告X2が呼ばれ、「羊水を飲み込んでいて、仮死状態です。徳山中央病院へ救急車で送ります」と言われた。
④ その時、被告は、Aの口の中にストロー様の管をさし、それを口で吸う処置をしていた。
⑤ 救急車がくる直前に、Aが微かに自力呼吸を始めた。
⑥ 午後七時三〇分頃、救急車がきて、被告と原告X2も同乗して出発した。
⑦ 救急車の中では、Aは、ジュルジュルという音をたてて呼吸をしていた。
⑧ 呼吸数の確認はされなかった。
⑨ 救急車のなかで、Aの口には、管が挿入されたままであったが、被告は、管を吸うような処置を全然しなかった。
(6)① 原告X2、被告、Aらは、午後七時三〇分頃、徳山中央病院に到着し、Aは、直ちに新生児集中治療室に運ばれた。
② 徳山中央病院搬入時点のAの病状は、①筋緊張弱く、モロー反射なし、②意識レベルはⅢ一〇〇ないし二〇〇、③自発呼吸はあり、という状態であって、病名は、①無酸素性脳症、②頭蓋内出血(脳室内出血)であり、その原因は、新生児仮死とされた。
③ 徳山中央病院で、その後、Aに対し、降圧剤、抗けいれん剤、酸素投与などの治療が続けられたが、自発呼吸が弱くなり、二日目からは、Aに人工呼吸器が装着された。
④ Aにつき、平成元年三月二日には、CTスキャンで、脳室が広がり、大脳皮質が萎縮しはじめていることが確認された。
⑤ Aは、平成元年六月四日に、徳山中央病院を退院して、以後、外来で経過をみながら鼓ケ浦整肢学園にリハビリで通っていたが、同年七月一一日からは、再び点頭てんかんで暫く徳山中央病院に入院した。
3(1)① 原告X1は、平成元年二月二日、被告医院に分娩のため入院するに際し、被告との間において、産婦人科医としての最善の注意義務を尽くして分娩の介助にあたり、胎児についても胎児仮死、新生児仮死などに陥らせないように最善の注意義務を払って分娩介助にあたる旨の医療契約を締結した。
② しかるに、Aは、平成元年二月三日午後六時二分から午後六時四二分までの約四〇分間、臍帯圧迫による臍帯血流の完全途絶によって無酸素症を起こし、そのため同人には重篤な脳障害(脳性麻痺、精神発達遅滞)が発生した。さらにその結果、Aは、平成三年四月六日死亡した。
③ これは、被告が後記4(1)ないし(8)のとおり、右医療契約上の産婦人科医師としての善良な管理者としての注意義務に違反したために発生したものであるから、被告は、右医療契約上の債務不履行責任を負う。
(2) 被告の後記4(1)ないし(8)の所為の結果、Aに重篤な脳障害が発生し、その結果、同人は、平成三年四月六日死亡したもので、これは同時に不法行為にも該当するから、被告は、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
4 被告の過失
(1) プロスタルモンFとアトニンーOを併用した過失
プロスタルモンFとアトニンーOは、いずれも分娩誘発剤であるが、併用すると過強陣痛など異常収縮を起こしやすいため、併用すべきではない。
しかるに、被告は、原告X1に対しこれを併用したため、陣痛異常が起き、胎児心音低下、胎児仮死、新生児仮死を起こし、重篤な後遺障害を残す結果となった。
(2) 前期破水の妊婦にメトロイリンテルを使用した過失
メトロイリンテルやコルポイリンテルを挿入する際には、児頭が挙上され、その後メトロイリンテルが脱出する際に児頭が下降して、既に下垂している臍帯が急激に圧迫される危険があるためメトロイリンテルの脱出時には、臍帯脱出や上肢脱出に注意する、とされており、また、前期破水の時にはメトロイリンテルを使用してはいけないとされているにもかかわらず、被告は、前期破水をしていた原告X1にメトロイリンテルを使用した。
(3) 前期破水の妊婦に内診をして羊水を大量に流出させた過失
前期破水がある場合、特に先進部となる児頭が下降、固定していない場合には、臍帯の脱出、圧迫が起こる可能性があるところ、内診指などで児頭を挙上するなどの操作をして、羊水を大量に流出させると、羊水量がさらに減少して子宮壁と胎児躯幹との間に存在する臍帯が圧迫されやすくなるため、内診して羊水を大量に流出させるようなことをしてはいけない。しかるに、被告は、平成元年二月三日午後二時から二時三〇分頃、分娩室で原告X1を内診し、指で児頭を持ち上げ、その際に「ドバッと羊水」を流出させた。
(4) クリステレル胎児圧出法を施行した過失
被告は、平成元年二月三日午後五時二八分過ぎころからクリステレル胎児圧出法を開始したが、この方法は、胎児仮死、子宮破裂などを起こす危険を伴うので、現在あまり使用されていない方法であるが、仮に実施する場合でも、数回にとどめるべきである。しかるに、被告は、クリステレル胎児圧出法を分娩まで一〇数回繰り返したもので、その結果、胎児心音の低下につながった。
(5) 吸引分娩実施上の過失
被告は、吸引分娩を何度も繰り返してAを娩出させたが、これは吸引分娩実施に被告の手技的な過失があったために回数が増えたものである。また、吸引分娩を実施するにあたり、微弱陣痛及び微弱腹圧によって、娩出が遷延しているときには、会陰切開が必要であるにもかかわらず、被告はこれを怠った。さらに、吸引分娩を実施するには、児頭が十分下がり、固定している必要があるところ、被告は、この適応がないにもかかわらず吸引分娩を実施した。
(6) 平成元年二月三日午後五時二、三分ころから午後六時頃まで軽度の変動一過性徐脈がみられ、臍帯の軽度圧迫が推測されるのに、これに対して内診、体位変換や酸素吸入、子宮収縮弛緩剤を投与せず、帝王切開の準備もしなかった過失
平成元年二月三日午後五時二、三分ころから午後六時頃まで軽度の変動一過性徐脈がみられ、臍帯の軽度圧迫が推測される状況にあった。変動一過性徐脈は、胎児仮死の警戒兆候であり、この場合、まず内診をし、母体の体位変換、酸素投与、子宮収縮弛緩剤の投与などにより改善されることもあるので、まずこのような処置をとる必要があり、また、様子をみて万一に備えて帝王切開の準備をする必要がある。しかるに、被告は、右の処置を何らしなっかた。
(7) 平成元年二月三日午後六時二、三分ころから遷延性高度胎児徐脈の発生に対して、直ちに帝王切開を実施し、午後六時二〇分ないし三〇分頃までに胎児を娩出させなかった過失
平成元年二月三日午後五時過ぎころから、軽度の変動一過性徐脈があり警戒兆候が続いていたわけであるから、その頃から万一に備えて帝王切開の準備をしておけば、同日午後六時二、三分からの急激な悪化に対しても、三分くらい様子をみた後に帝王切開の決断をしたとしても午後六時二〇分ないし三〇分ころまでにAを娩出できた。しかるに、被告は、帝王切開の準備をせず、吸引分娩とクリステレル胎児圧出法を繰り返し、帝王切開を実施しなかった。
仮に、麻酔医への連絡、来院が遅れる場合でも、指で児頭を持ち上げて、母体にも酸素を投与し、心拍数の改善を図りながら麻酔医の来院を待つことも可能であるから、被告が、そのような処置もとらずに帝王切開に踏み切らなかったことには過失がある。
(8) 搬送中の処置における過失
Aは、被告医院から徳山中央病院へ救急車で搬送されたが、その搬送中には微かに自発呼吸を回復していたが、呼吸数は確認されておらず、補助的に酸素を供給する必要があったにもかかわらず、その救急車に同乗していた被告は、その補助呼吸の処置を全くとらなかった。
5 損害
(1) 逸失利益 三九〇〇万円
女子の全年齢平均年収入は二四〇万円、〇歳児の就労可能年数は四九年、Aの労働能力喪失率は一〇〇パーセントであるから、中間利息の控除について新ホフマン方式(係数16.4192)で計算すると三九〇〇万円を下らない。
(計算式・240万0000円×16.4192
=3940万6080円)
(2) 慰謝料 三〇〇〇万円
重篤な脳性麻痺者として、一生不自由な生活を送ることを余儀なくされたAの精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては三〇〇〇万円が相当である。
(3) 介護費用 七九三万円
Aの介護費用としては、一日一万円が相当で、Aの生存期間七九三日分
(4) 墳墓・葬儀費用 一〇〇万円
(5) 以上合計七七九三万円の内金五〇〇〇万円(各二五〇〇万円)を請求する。
(6) 弁護士費用
五六〇万円(各二八〇万円)
6 よって、原告らは、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求権、あるいは不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、それぞれ二七八〇万円及びこれに対する平成元年二月三日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1(1)の事実は認め、同1(2)の事実のうちAの死亡、その期間、その相続人を除き認める。
2 請求原因2の事実について
(1) 請求原因2(1)①及び③の事実は認め、②の事実は否認する。
(2)① 請求原因2(2)①の事実は、時間の点を除き認める。分娩誘発開始の時間は、午前一〇時二〇分で、プロスタルモンFの使用を開始したのは午前一一時二八分であった。
② 請求原因2(2)②の事実は否認する。
③ 請求原因2(2)③の事実は認める。なお、内診の時間は午後一時二〇分であった。
④ 請求原因2(2)④の事実は否認する
(3)① 請求原因2(3)①の事実は、時間の点を除き認める。時間は午後二時二〇分であった。
② 請求原因2(3)②の事実のうち、メトロイリンテルを挿入したこととそれが自然に抜けたことは認める。
被告が、午後三時三〇分、原告X1を内診したところ、子宮口が五センチメートル開大で変化していなかったため、そのころメトロイリンテルを入れたもので、午後四時頃にそれが自然滑落した。
③ 請求原因2(3)③の事実のうち、発言内容を除き認める。被告の発言は、「子宮口が、六センチメートル開きました」というものであった。
④ 請求原因2(3)④の事実は知らない。
⑤ 請求原因2(3)⑤の事実のうち、「その後」という点を除き認める。時間は午後五時二八分であった。
⑥ 請求原因2(3)⑥の事実は否認する。クリステレル胎児圧出法は、午後六時三分に、分娩監視装置で胎児の心拍数低下がみられたことにより、メイロン(制酸・中和剤)を側注したころに行った。
(4)① 請求原因2(4)①及び②の事実は知らない。
② 請求原因2(4)③及び④の事実については、Aの心拍数が低下した後のことであれば認める。
③ 請求原因2(4)⑤の事実は認める。
④ 請求原因2(4)⑥の事実中、「その後」の点は否認する、吸引分娩は、原告X2が分娩室を出る前から施行しており、同原告が分娩室にいる間に二度吸引した。
⑤ 請求原因2(4)⑦の事実中、「肘を使って」との点を除き認める。手掌で圧迫したものであった。
⑥ 請求原因2(4)⑧の事実中、指示の内容を除き認める。蘇生台は常置してあり、挿管の準備を指示した。
⑦ 請求原因2(4)⑨の事実は認める。
(5)① 請求原因2(5)①の事実は認める。被告は、気管内挿管と口腔内吸引をしていた。
② 請求原因2(5)②の事実は否認する。徳山中央病院の大城医師に連絡したのは、原告X2に説明した後で、連絡は被告がした。
③ 請求原因2(5)③の事実中、被告が原告X2に対し、Aが出生時仮死状態であったことと徳山中央病院へ搬送する旨の説明をしたことは認める。
④ 請求原因2(5)④の事実中、ストロー様の管は挿管チューブであり、「口で吸う処置をしていた」のではなく、「呼気を入れていた(補助呼吸)」のであって、この点を除き認める。
⑤ 請求原因2(5)⑤の事実は否認する。Aは、出生後約一〇分で軽度の自発呼吸を始めた。被告は、時々、挿管チューブで補助呼吸を行った。
⑥ 請求原因2(5)⑥の事実中、時間の点を除き認める。救急車が来たのは午後七時二二分頃であった。
⑦ 請求原因2(5)⑦の事実は認める。ジュルジュルという音は小児の場合、挿管しても挿管チューブにカフがないため、口腔中の分泌物が音をたてていたものである。
⑧ 請求原因2(5)⑧及び⑨の事実は認める。
(6)① 請求原因2(6)①の事実中、到着時間の点を除き認める。到着時間は、午後七時四〇分頃であった。
② 請求原因2(6)②ないし⑦の事実は知らない。
3 請求原因3(1)②の事実中、臍帯圧迫により臍帯血流が三八分間以上途絶したことによる無酸素症により、Aに重篤な脳障害が発生したことは認める。同3(1)③及び同3(2)は争う。
4 請求原因4及び5はいずれも争う。
5 被告の主張
(1) プロスタルモンFとアトニン―Oを併用した点について
プロスタルモンFとアトニン―Oの両剤を併用したこと及びその使用量、使用方法が、被告の裁量の範囲内である。
A出産当時の薬剤の能書の説明では、両剤の併用が禁忌であるとはしておらず、両剤の併用を勧めている文献も存する。そして、本件においては、両剤とも安全限界内で使用されていた。
確かに、プロスタルモンFもアトニン―Oも、ともに子宮収縮剤としての性格上、過量投与により過強陣痛を惹起し、その結果、胎児徐脈、胎児仮死が発生することがあり、甚だしい場合には子宮破裂、胎児仮死など重大な事態に陥る。しかし、本件では、過強陣痛が起こってはいない。
(2) 前期破水をしていた原告X1にメトロイリンテル使用した点について
その使用に過失はない。前期破水に対するメトロイリンテルの挿入は羊水の流出を防ぐ意味もあり、それ自体は禁忌ではない。メトロイリンテルが脱出した午後四時にも胎児心拍数の悪化はまだ認められていない。同時点での内診の結果でも、被告は臍帯脱出等の異常を何ら認めていない。
(3) 前期破水をした原告X1に対する内診により羊水を大量に流出させたとの点について
これを認めるに足りる証拠はない。仮に、大量の羊水が流出したのであれば、被告は同時点で直ちに予想される胎児仮死に対応すべく何らかの措置をとったはずであるが、被告は何らの措置もしていないし、原告X1の供述や同人作成の経過記録書は正確性が乏しい。
(4) クリステレル胎児圧出法の施行について
本件の場合、被告がクリステレル胎児圧出法を施行したのは、午後六時五分に分娩監視装置で心拍数の六〇bpm以下への低下を確認した後で、重症胎児仮死に対する急速遂娩のために実施したものであり、また、一〇回以上繰り返した事実はない。
(5) 吸引分娩の実施について
被告は、重症胎児仮死が起きたので、急速遂娩のため吸引分娩を実施し、吸引の回数が五、六回になったが急速遂娩のためやむを得なかった。なお、会陰切開は実施している。
吸引分娩を実施する際には、①子宮口が一〇センチメートル開大(全開大)していること、②経膣分娩が可能と考えられている頭位分娩であること(児頭はステーション±〇センチメートルは軽くこえ、先進部は排臨の状態ぐらいに達していること)が必要で、破水後、子宮口が全開大しても児頭が固定しない場合には、帝王切開を行うとされている。
本件では、午後五時二八分に子宮口が全開大となっており、児頭が吸引適位にあったか否かについては、被告は、平成元年二月二日、原告X1の破水確認のため膣鏡を挿入し子宮口の状態を視診し、羊水の流出の有無を確認するとともに内診し、児頭(闊部にある)が中在であることを確認している。なお、吸引時に児頭は固定していたが、なかなか娩出しなかったのは回旋異常があったためと思われる。
仮に、児頭がステーションマイナスの状態よりも高在で、吸引で児の娩出をした場合、児頭に高度の頭血腫又は帽状腱膜下出血を生じさせ、児死亡や高ビリルビン血症を起こす原因となることが懸念されるが、本件はこのような状態を生ぜしめた事実はない。
(6) 平成元年二月三日午後五時二、三分頃から六時頃まで軽度の変動一過性徐脈があった際の対応について
午後五時二、三分頃から六時頃までの間に、軽度の変動一過性徐脈があったことは事実であるが、体位変換や酸素投与をせず、子宮収縮弛緩剤を投与しなかったことが、午後六時二、三分頃からの遷延性高度胎児徐脈を発生させたとは言えない。軽度の変動一過性徐脈は胎児仮死の警戒兆候ではあるが、胎児仮死ではなく、分娩時にはしばしば認められるものである。
帝王切開の準備に関しては、被告は、機械はいつも消毒しており、麻酔をかけている間に道具の準備はできる状態にしていた。したがって、応援の麻酔医と手術介助者が到着さえすれば、帝王切開ができる準備は常にできていた。
(7) 午後六時二、三分頃からの遷延性高度胎児徐脈の発生に対して、直ちに帝王切開を実施しなかったことについて
子宮口全開大後であれば、経膣的な急速遂娩術が今日では最も妥当な処置であり、本件では、午後五時二八分頃、子宮口が全開大となっていたので、帝王切開によらず吸引分娩で胎児を娩出させたことは適切な措置であった。
分娩中、胎児心音が急速に悪化する症例の場合、急速遂娩が原則であるが、経膣分娩が無理なら帝王切開による遂娩をすることになるが、その場合、帝王切開を決意してから帝王切開まで最低でも二五分から三五分を要するとの報告もあり、帝王切開を決意するまでにも胎児心拍が回復するかどうか様子をみる時間に四、五分を要する。そして、被告のような個人の診療所では、応援の医師を呼んでから来てもらうまでの時間が二〇分から三〇分は余計に必要である。
そうすると、午後五時四〇分頃、麻酔医に直ちに被告医院に来てくれるよう依頼しても、到着は午後六時過ぎ頃になっていたはずで、帝王切開を決断したのは午後六時一五分過ぎになっていたと思われ、その場合にも、Aの娩出は、本件同様、午後六時四〇分頃になっていた可能性が強いのである。
仮に、麻酔医への連絡や来院が遅れる場合でも、指で児頭を持ち上げて母体にも酸素を投与し、心拍数の改善を図りながら麻酔医の来院を待つという方法をとることは、結果如何によっては、他の急速遂娩の方法を試みず手を拱いていたとの謗りを受ける可能性もあるのであり、確実なものではない。
(8) 搬送中の措置について
本件において、被告は、児頭が現れると直ちに鼻腔口腔を吸引し、児娩出後、直ちにインファントウォーマーに収容し、口腔内を吸引し、足底叩打刺激等を行いながら、マウスツゥーマウスアンドノーズ法にて気道確保に努め、さらに気管内挿管により人工呼吸を行い、約一〇分後に軽度の自発呼吸を発現せしめており、その後、挿管をしているものの安定した自発呼吸も認めている。さらに、挿管のまま転医させている。
原告らは、救急車で新生児を搬送中、人工呼吸をしなかった、あるいは補助呼吸の処置が全然とられていなかったと主張するが、Aの場合、自発呼吸があり、チアノーゼもなかったのであるから、その必要がなかったことは明らかである。
(9) 本件は、その発生がほとんど予期できない稀な臍帯合併症が突発したものであり、一般開業医の能力を超えた対応を迫られる事案であった。したがって、被告に過失はない。
三 証拠<省略>
理由
(<省略>)
一当事者
当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>)によれば、被告は、肩書地において産婦人科医院を開設して医療業務を営む医師で、Aは、平成元年二月三日、被告医院で、父原告X2、母原告X1の第一子(長女)として出生した者であることが認められる。
二事実経過など
1 証拠(<書証番号略>、原告X1本人、被告本人、鑑定人金岡毅の鑑定結果〔以下、「鑑定結果」という。〕)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告X1は、昭和六三年六月四日、被告医院で妊娠五週六日、分娩予定日昭和六四年一月二九日との診断を受け、以降、被告医院で継続的に診察を受けていたが、分娩に至るまでの時期において、その胎児に潜在性の胎児仮死の兆候は認められなかった。
(2) 原告X1は、これまで分娩を経験していない、初産婦であった。
(3) なお、被告は、平成元年一月一三日(妊娠三七週五日)、同月一九日(妊娠三八週四日)、同月二七日(妊娠三九週五日)、原告X1を診察した際に、いずれも頸管熟化のためのホルモン剤であるマイリス一A(二〇〇mg)を静脈注射した。
2 当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、原告X1本人、被告本人、鑑定結果)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告X1は、平成元年二月二日(妊娠四〇週五日)午前九時ころ、自宅で破水し、被告医院に赴き被告の診察を受けたところ、被告が破水を確認し、入院となった。
(2) 入院後、原告X1に対しては、灌腸、フルマリン(セフェム系抗生物質)テストなどが実施され、右テスト結果が陰性であったので、同日午前一〇時三〇分ころ、同日午後六時三〇分ころ、翌二月三日午前零時ころ、同日午前八時三〇分ころ、いずれも羊水感染を予防するために二〇パーセントのブドウ糖液にフルマリン一グラムを加えたものが静脈注射された。
(3) また、平成元年二月二日中は、原告X1に陣痛発作はなく、同日午後六時三〇分ころ、看護婦がみた際には時々羊水が漏出していた。
3 当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、原告X1本人、被告本人)によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告は、原告X1において破水するも有効な陣痛発作がないことから分娩誘発をすることとし、平成元年二月三日午前一〇時二〇分ころから原告X1に対し、ポタコールR五〇〇mlに陣痛誘発剤であるアトニン―Oを五単位入れ、定量筒付輸液セットを用い一分間に二〇滴の速度で点滴をした(一分間に、アトニン―Oが約3.3mU注入される。)。
(2) 被告は、原告X1に有効な陣痛発作が発生しないことから、同日午前一一時二八分ころ、陣痛誘発剤であるプロスタルモンFを一〇〇〇μg前記点滴内に入れ、それとともに自動輸液ポンプ装置に変更し、一時間に八〇mlの速度(一分間に、アトニン―Oが約13.3mU、プロスタルモンFが約2.78μg注入される。)で原告X1に対して点滴をした。
(3) 被告は、分娩誘発を開始する時点で、原告X1の頸管熟化の程度、児頭と骨盤の大きさの関係、児頭の位置を確かめてはおらず、また、被告医院はダブルセットアップ(直ちに、帝王切開ができるような準備を同時にしておくこと。)をするだけの施設がなかったため、ダブルセットアップはされていなかった。
(4) 右分娩誘発により、原告X1には、同日午前一一時二八分過ぎころに一〇分間欠の発作が、午後一二時一五分ころには五分間欠の発作が、午後一二時五〇分ころには四分間欠で三〇秒程継続する発作があり、同原告の陣痛が徐々に強まってきた。
(5) 被告が、同日午後一時二〇分ころ、原告X1を内診したところ、子宮口は一cm弱開大の状態で、被告が内診した手を出す際に羊水が漏出した(なお、その量は一般人が驚く程度と認められるが、具体的な量は不明である。)。さらに、被告の指示により、午後一時三〇分ころ、原告X1に対し、頸管熟化のためのホルモン剤であるマイリス一A(二〇〇mg)が側注された。
4 当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、原告X1本人、被告本人)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告X1の陣痛間隔がさらに短くなってきたので、平成元年二月三日午後二時二〇分ころ、原告X1は分娩室に入り、分娩監視装置の装着を受けた。被告は、午後三時三〇分ころ、内診して、子宮口の開大具合からメトロイリンテルを使用することとし、これを施行した。また、そのころ、原告X1に対してマイリス一A(二〇〇mg)が側注された。
(2) 右メトロイリンテルが、午後四時ころ、自然滑落し、被告が内診したところ原告X1の子宮口は約六cm開大の状態であった。
(3) 被告は、午後四時三五分ころ、原告X1に対し、前の点滴が切れたため新たにポタコールR五〇〇mlにアトニン―Oを五単位とプロスタルモンFを一〇〇〇μg入れたものを自動輸液ポンプ装置で一時間に八〇mlの速度(一分間に、アトニン―Oが約13.3mU、プロスタルモンFが約2.66μg注入される。)で点滴を継続した。
5 当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、証人金岡毅、原告X1本人、被告本人、鑑定結果)によれば、次の事実が認められる。
(1) 原告X1には、平成元年二月三日午後五時ころ分娩監視装置が装着され、そのころから午後五時三五分ころまでの間は、軽度の変動一過性徐脈(臍帯の軽度の圧迫兆候)の散発が認められる反面、胎児基線細変動及び胎児一過性頻脈(いずれも胎児が健康な兆候)が認められる状態であった。また、午後五時二八分ころ、右分娩監視装置中の陣痛計は外され、分娩の準備がされるとともに、そのころ原告X1に対してマイリス一A(二〇〇mg)が側注された。
(2) 原告X1には、同日午後五時三五分ころから変動一過性徐脈が頻発し、臍帯圧迫の存在が強く疑われる状態にあり、さらに午後六時二分ころから午後六時三九分ころまでの間は胎児高度徐脈が継続し、臍帯血流が完全に途絶した状態が継続していた。
(3) 原告X1の子宮口は、同日午後五時二八分ころ、全開大となり、分娩の準備が整った後に原告X2も分娩室に入り、同X1の頭の方から同人の両脇を押さえ、陣痛に合わせ原告X1がいきむという方法で分娩が開始された。
その後、午後六時二分ころ胎児心音が低下し、胎児高度徐脈が発生したため、被告は、原告X1に対し、クリステレル胎児圧出法を四、五回施行し、さらにその後に吸引分娩を施行するとともに看護婦に対しクリステレル胎児圧出法を指示してこれを併用し、途中、原告X2を退室させ、Aが娩出されるまでこれを継続した。被告は、その間に原告X1に対して会陰切開を施行し、また胎児のアシドーシスを補正するために制酸中和剤であるメイロンを約六回程側注させた。
Aは、午後六時四二分ころ、娩出された。
(なお、原告らは、被告がクリステレル胎児圧出法を施行し始めたのは、胎児心音が低下した同日午後六時二分ころよりも前である旨主張し、そのように説明(<書証番号略>)、供述(原告X1本人)する。しかしながら、午後五時三五分ころから午後六時二分ころに至るまでは、軽度の変動一過性徐脈が頻発し、臍帯圧迫の存在が強く疑われる状態にはあったものの、急速遂娩の一つであるクリステレル胎児圧出法を直ちに施行するまでの必要はない状態であり、また、被告がクリステレル胎児圧出法を施行しなくても分娩の進行に伴って胎児高度徐脈が発生することもあること、さらには被告がクリステレル胎児圧出法を施行中に看護婦に対して点滴内に注射器で液を入れるよう指示した旨の原告らの説明は、被告が、制酸中和剤であるメイロンの投与を指示し、施行させたことを指しているものと推認されることに照らすと、原告らの説明、供述をもって、被告がクリステレル胎児圧出法を施行した時期を胎児高度徐脈が発生する前であったと認定することは困難で、他に原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。)
(4) 胎児心音が低下し、胎児高度徐脈が発生する前の段階では、原告X1の子宮口は全開大となっていたものの、児頭は骨盤内にはあるが比較的高い位置にあり、完全に固定した状態ではなく、また原告X1には軟産道の熟化不全があった。
6 当事者間に争いのない事実と証拠(<書証番号略>、証人大城研二、原告X1本人、被告本人、鑑定結果)によれば、次の事実が認められる。
(1) Aは、子宮内で胎児仮死のため胎便を漏出し、そのため羊水は緑色に混濁し、さらに胎便を気道内に吸引しており、出生当時は無呼吸であった。
そして、Aのアプガースコア(分娩後なんら処置を加えず生後一分で示す新生児の徴候)は三点程度で、重症仮死(第二度仮死)の状態にあり、生後一〇分ないし二〇分を経過してもAの一般状態は改善されなかった。
(2) 被告は、Aの出生後、直ちにインファントウオーマーの上で口腔内吸引とマウスツウマウス法による人工呼吸を数回繰り返し、酸素をマスクで投与し、気管内挿管をして人工呼吸をするなどした結果、Aは、午後七時五分頃までには自発呼吸を始め、その後、酸素フード内で酸素吸入を施行された。
その後、被告は、Aを徳山中央病院に搬送するために必要な措置をとった。
(3) 被告は、Aを挿管したままの状態で抱きかかえ救急車で徳山中央病院に搬送したが、この間、Aは、ジュルジュルと音をたてて呼吸をしていたが、チアノーゼは出ていなかった。
(4) Aは、午後七時三〇分ころ、同病院の新生児集中治療室に収容され、担当した大城研二医師は、Aの挿管をすぐに抜いて必要な処置をした。その当時、Aは筋緊張弱く、モロー反射なく、意識レベルはⅢ一〇〇ないし二〇〇(三・三・九方式、痛み刺激には反応あり。)、自発呼吸はあって全身色良好という状態であった。
(5) 結局、Aには、無酸素性脳症、頭蓋内出血(脳室内出血)により、脳性麻痺(痙性四肢麻痺)、精神発達遅滞、点頭てんかん(ウエスト症候群)の後遺障害が発生した。そして、重度障害児となり、高度の精神発達遅滞が予想された。
(6) Aは、徳山中央病院に入院中の平成元年六月一〇日ころ、嚥下困難で食道胃の逆流があるという状態であった。
(7) Aは、平成三年四月六日、無酸素性脳性麻痺に基づく窒息により死亡した。
7 証拠(<書証番号略>、被告本人)によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告医院は、平成元年二月三日当時、医師は被告一名、看護婦八名(うち正看護婦は一名)、栄養士一名、賄婦二名、ベッド数一四、手術室一、分娩室一の医院で、助産婦はいなかった。
(2) 被告医院では、帝王切開の必要がある場合は、器具等の準備はあるものの、応接の医師を依頼して施行する体制で、応接の医師は被告が以前勤務していた徳山中央病院から来てもらえるようになっていた。そして、応援を求めてから応援の医師が到着するまでに約二〇分ないし三〇分を要した。
三そこで、以上の事実を前提に検討する。
1 右二6(5)で認定したとおり、Aには、脳性麻痺(痙性四肢麻痺)、精神発達遅滞、点頭てんかん(ウエスト症候群)の後遺障害が発生したが、右二5(2)及び(3)で認定したとおり、原告X1には、平成元年二月三日午後六時二分ころから午後六時三九分ころまでの間は胎児高度徐脈が継続し、臍帯血流が完全に途絶した状態が継続していたこと、この間、原告X1に対しては、被告がクリステレル胎児圧出法を四、五回施行し、さらに被告が吸引分娩を施行するとともに看護婦がクリステレル胎児圧出法を施行させる状態が継続していたこと、右二6(1)で認定したとおり、Aの娩出時に羊水は緑色に混濁し、Aは出生当時は無呼吸であったこと、Aのアプガースコア(分娩後なんら処置を加えず生後一分で示す新生児の徴候)は三点程度で、重症仮死(第二度仮死)の状態にあり、生後一〇分ないし二〇分を経過してもAの一般状態は改善されなかったこと、徳山中央病院では、Aについて、無酸素性脳症、頭蓋内出血(脳室内出血)と診断し、その原因については新生児仮死と診断していること(<書証番号略>)と鑑定結果及び証人大城研二の証言を総合すると、Aの後遺障害は、分娩時の無酸素症、アシドーシスと機械的傷害(クリステレル胎児圧出法と吸引分娩の施行によるもの。)などが相互に関連して発生したものと認められ、右無酸素症とアシドーシスは、平成元年二月三日午後六時二分ころから午後六時三九分ころまでの間に臍帯血流が完全に途絶した状態が継続していたことに起因するものと認められる。
2 原告らは、被告医院から徳山中央病院へAを搬送する際に、被告が人工呼吸の処置をせず、補助呼吸の処置もしなかったことに過失があった旨主張する(請求原因4(8))ので検討するに、右二6(2)ないし(4)で認定した被告医院におけるAに対する処置とその結果、搬送中のAの状況、徳山中央病院での処置態様と鑑定結果に照らすと搬送中にAに対し、人工呼吸や補助呼吸をすべきであったものとは認められず、また、人工呼吸や補助呼吸を施行しなかったためにAの後遺障害が発生し、あるいは増悪したことを認めるに足りる証拠はない。
3 原告らは、被告が原告X1に対し、陣痛誘発剤であるプロスタルモンFとアトニン―Oを併用したことに過失があった旨主張(請求原因4(1))するので検討するに、被告は、右二3(1)及び(2)、二4(3)で認定したとおり、平成元年二月三日午前一〇時二〇分ころから原告X1に対して陣痛誘発剤であるアトニン―Oを使用し、午前一一時二八分ころからは同じく陣痛誘発剤であるプロスタルモンFも合わせて使用し、この併用の状態をAの娩出まで継続したことは認められるものの、プロスタルモンFとアトニン―Oを併用したことにより原告X1に過強陣痛などの陣痛の異常が発生したことや臍帯圧迫による臍帯血流の完全途絶に繋がるような異常が発生したことを認めるに足りる証拠はないのであるから、その余について判断するまでもなく原告らの右主張は理由がない。
4 さらに、請求原因4(2)ないし(7)について検討する。
(1) 緊急を要する帝王切開の場合には、その必要性が生じてからその実施までの時間が母児の予後を左右するものであるところ、右二7(2)で認定したとおり、被告医院においては、帝王切開を施行する場合、応援の医師(麻酔医など)を依頼してからその到着までに二〇分ないし三〇分を要する状態にあったのであるから、分娩の進行に伴い、将来、帝王切開の実施に至る可能性が予見される場合には直ちに応援の医師を依頼し、応援の医師が到着さえすれば、直ちに帝王切開を実施できるだけの準備をしておく注意義務があったというべきである。
(2)① そして、証拠(<書証番号略>、鑑定結果、証人金岡毅)によれば、羊水量の減少は、子宮壁と胎児躯幹との間に存在する臍帯が圧迫されやすくなる状態をもたらすところ、右二2(1)及び(3)、二3(5)で認定したとおり、原告X1は、平成元年二月二日午前九時頃には前期破水(陣痛発来前の破水)をしていたこと、同日午後六時三〇分ころ、看護婦がみた際には時々羊水が漏出していたこと、被告が、翌二月三日午後一時二〇分ころに内診し、その内診した手を出す際には一般人が驚く程度の羊水が流出したことが認められ、右事実によれば、前期破水とそれに伴う羊水の漏出、被告の内診に伴う羊水の流出が臍帯圧迫の誘因になったものと推認され、被告においても、右の臍帯圧迫の誘因が存在したことは知り得たことであったものと認められる。
② また、証拠(<書証番号略>、鑑定結果、証人金岡毅)によれば、メトロイリンテルの挿入とは、空虚なゴム球を子宮頸管より子宮腔内に挿入した後、ゴム球内に滅菌生理食塩水などを注入して充満させ、軽く牽引する方法をいい、子宮下部に機械的な刺激を与えて陣痛を誘発し、頸管を拡張するために施行され、前期破水の場合には羊水の漏出を防ぐ意味も兼ねて施行されるもので、前期破水をしている妊婦に対して施行すること自体は禁忌ではないが、メトロイリンテルが挿入される際に、児頭が挙上され、その後に脱出する際に児頭が下降して、すでに下垂している臍帯が圧迫される危険性があるところ、右二4(1)及び(2)で認定したとおり、被告は、平成元年二月三日午後三時三〇分頃、原告X1に対してメトロイリンテルを使用し、それは午後四時頃自然滑落したことが認められ、右事実によれば、メトロイリンテルの使用とその脱出が臍帯圧迫の誘因になったものと推認され、被告においても、右の臍帯圧迫の誘因が存在したことは知り得たことであったものと認められる。
(3) 証拠(<書証番号略>、鑑定結果、証人金岡毅)によれば、軽度の変動一過性徐脈は、胎児仮死の警戒兆候であり、高度変動一過性徐脈には軽度変動一過性徐脈が先行する場合があるとされており、胎児高度徐脈の継続は最重症の胎児仮死を示し、直ちに急速遂娩を施行する適応になるものであると認められるところ、右二5(1)で認定したとおり、原告X1には、平成元年二月三日午後五時頃から軽度の変動一過性徐脈(臍帯の軽度圧迫兆候)の散発が認められる状態にあったこと、さらに右(2)のとおり本件では臍帯圧迫の誘因となる事情の存することが既に判明していたこと、右二5(3)で認定したとおり、同日午後五時二八分頃、原告X1の子宮口が全開大となっており、そのころから分娩が開始されようとしていたこと、さらに鑑定結果と証人金岡毅の証言を総合すると、軽度の変動一過性徐脈、即ち、胎児仮死の警戒兆候が認められ、その状況下で分娩を開始しようとした平成元年二月三日午後五時二八分頃までの時点で、胎児高度徐脈に対応するため急速遂娩術の実施に至る可能性のあることは被告にも予見できたものと認められる。
(4) ところで、右二5(3)で認定したとおり、平成元年二月三日午後五時二八分頃には原告X1の子宮口は全開大となっていたところ、証拠(<書証番号略>、証人金岡毅)によれば、子宮口が全開大となった後の急速遂娩の方法としては、一般に経膣的な急速遂娩術、即ち、吸引分娩、鉗子分娩によるとされている。
しかしながら、証拠(<書証番号略>、鑑定結果、証人金岡毅)によれば、胎児高度徐脈が発生した場合、新生児に後遺障害が残らないようにするためには急速遂娩により一五分ないし二〇分程度で胎児を娩出する必要があるところ、日母ME委員会は、高度徐脈の持続の場合の管理方針として帝王切開をその方針としていること(<書証番号略>)、右二1(2)で認定したとおり、原告X1は初産婦であり、右二5(3)及び(4)で認定したとおり、児頭は骨盤内にはあるが比較的高い位置にあり、完全に固定した状態ではなく、さらに軟産道の熟化不全があったことが認められ、これらの事実と鑑定結果や証人金岡毅の証言を総合すれば、平成元年二月三日午後五時二八分頃までの時点では、分娩の進行に伴って胎児高度徐脈が発生、継続した場合に、経膣的な急速遂娩の方法により直ちに胎児を娩出することが可能と判断できる状況にはなかった(即ち、帝王切開を実施するに至る可能性が認められた。)うえ、このことは被告においても認識可能であったものと認められる。
(5) そうとすると、被告は、平成元年二月三日午後五時二八分頃までには、分娩の進行に伴い、将来、帝王切開の実施に至る可能性を予見できたのであるから、その頃までには帝王切開実施のための応援の医師を依頼し、応援の医師が到着さえすれば、直ちに帝王切開を実施できるだけの準備に着手しておく注意義務があったというべきで、被告が、同日午後六時二分頃に胎児高度徐脈が発生するまでの間、漫然と通常の分娩介助を継続したことは右注意義務に違反したというべきである。
(6) そして、平成元年二月三日午後五時二八分頃までに帝王切開を実施する際の応援の医師を依頼し、帝王切開を実施するに必要な準備に着手していれば、右二7(2)で認定したとおり、午後六時頃までには応援の医師が到着可能で、たとえ応援の医師の到着が若干遅れたり、応援の医師自身の準備時間が必要であったとしても、証拠(鑑定結果、証人金岡毅)によれば、児頭を挙上して臍帯の圧迫を取り除くことでX2の臍帯血流の途絶を取り除き、帝王切開の開始を待つことも可能だったのであるから、同日午後六時二分頃から胎児高度徐脈が発生しても、臍帯血流の途絶時間を一五分ないし二〇分以内に抑えて、帝王切開によりAを娩出させることは可能であったと認められ、そうしていればAに後遺障害が発生することもなかったものと認められる。
(7) そうとすると、その余の点について判断するまでもなく、被告の処置には過失があったものと認められ、Aに発生した損害を賠償すべき責任があるものと認められる。
四損害
1 前示のとおり、Aは、平成三年四月六日死亡したが、右二6(5)ないし(7)で認定した事実に照らすと、同人の死亡は、本件事故に起因するものと認められ、また、証拠(<書証番号略>)によれば、同人の相続人は原告らであることが認められる。
そこで、以下、具体的な損害額について検討する。
2 逸失利益
前示のとおり、Aは、平成三年四月六日死亡した者(死亡当時二歳)であるが、本件事故がなければ一八歳から六七歳までの四九年間稼働できたものと推認され、女子の全年齢平均年収は二九六万〇三〇〇円(「賃金センサス」平成三年第一巻第一表)、生活費控除としては三〇パーセントとするのが相当であるから、中間利息の控除につきライプニッツ方式(係数、8.3233)で計算すると逸失利益としては一七二四万七六二五円(円未満切り捨て、以下同じ。)となる。
(計算式・296万0300円×(1−0.3)×8.3233
=1724万7625円 円未満切り捨て)
3 慰謝料
被告の過失の内容や程度、Aの出生後の状態、さらに二年余で死亡したことなどを総合すると、Aの慰謝料としては、一八〇〇万円が相当である。
4 介護費用
前示の後遺障害の内容に照らすと、Aについては、その生存中(七九三日間)介護を要する状態にあったものと認められ、介護費用としては、入院中、自宅療養中を通して一日五〇〇〇円とするのが相当であり、したがって、介護費用としては三九六万五〇〇〇円となる。
5 墳墓・葬儀費用
前示のとおり、Aは、平成三年四月六日、死亡しており、それにともない葬儀が営まれたものと推認されるところ、Aの年齢などを考慮すると、葬儀費用としては五〇万円が相当である。なお、墳墓費用については、これを認めるに足りる証拠はない。
6 弁護士費用
A及び原告らが、原告ら訴訟代理人に本訴の提起、遂行を依頼したことは明らかで、本件の内容、認容額などを総合すると、損害としての弁護士費用としては三五〇万円が相当である。
7 以上合計すると四三二一万二六二五円(各二一六〇万六三一二円)となる。
五そうとすると、本訴請求のうち、原告らが、被告に対し、それぞれ二一六〇万六三一二円を請求する限度においては理由があり、その余は理由がないから主文のとおり判決する。
(裁判官坪井宣幸)